栄光の最高速トライアル 語り継がれるS30Z(後編)

2012.02.15

「究極の世界では総合的な性能が大事なんです」

Q:伝説的な存在のS30Zですが、このクルマの製作期間はどれぐらいだったのですか?

「なんだかんだで半年以上はかかったと思いますよ。エンジンを載せ換えて、タイヤ、ホイール、サスペンション、ギヤレシオなど、細部にわたって調整しました。塗装に関しても色にすごくこだわって、随分、細かく作業しました。ボディは基本的にノーマルのまんまですね。シートを外したり、ロールケージを外したりもしていません」

Q:チューニングのいちばんのポイントはどこだったんですか?

「特別どこということはありません。クルマはどこがいいというのではなく、総合的な性能が大事なんです。今で言う、トータルパッケージが優れていないとダメなんです。要するに、クルマは曲がる、走る、止まる。この3つがそろってないと、どんな勝負でも勝てないんです。足回りも決まっている、エンジンも決まっている、空力も決まっている。それで鬼に金棒になるんです。究極の世界にいくとね。それは今のF1を見ればわかるじゃないですか。メルセデスのエンジンがいくら良くても勝てませんよね。じゃあレッドブルがなぜ速いかといえば、それはドライバーの力もあるかもしれないけど、エンジンも、空力も、サスペンションも、総合的に優れているからなんです。そういうマシンじゃないと、いい結果を残せないんです」

Q:最高速トライアルでも、サーキットでのレースと同様に総合的なマシン性能が大事ということですね。

「そういうことですね。このマシンはエンジンのパワーはすごくありました。最高速と同じ、230~240馬力はあったと思いますよ。このパワーを生かすためには、ボディであり、タイヤであり、サスペンションが大事なんです。たとえば足回りにしても、ただ硬くするだけじゃ脳がないんですよね。あまり硬くても今度は跳ねてしまいますからね。硬くてもきちんと衝撃を吸収するしなやかさも持ち合わせていなければいけません。タイヤにしても、ただグリップの高いものを履いても、食いつきはいいけど、足回りがバタバタだと、きちんとカーブを曲がっていきません。といって、サスペンションだけ良くしても、タイヤがついていかないとダメなわけです。それに付随してショックも良くしないといけません。この3つをきちんとして初めて足回りが良くなるわけです」

Q:なるほど。本当に細かいチューニングの技術が要求されるわけですね。

「それもやりながら、空気抵抗なんかもきっちりと考える。それから、エンジンだったら冷却、ギヤレシオなども考え、駆動系のデフ、さらにはブレーキ…とありとあらゆることも考えます。そうしないと、ドライバーはアクセルを踏みこめませんよ。ただエンジンをチューニングして速く走れるかといえば、一瞬はそうかもしれませんが、それに合わせてミッションやデフなども変えていかないと、すぐに壊れて終わってしまうんです。実際、私たちがモーターマガジンで最高速トライアルの記事をやったあと、いろんな雑誌で同じような企画をやるようになり、たくさんのチューニングショップが自分たちで作ったクルマを矢田部に持ってきたんです。でもテストコースをまともに走れるマシンは少なかったんですよ。3周も走れずに壊れてしまったというケースがたくさんあったんですから」

Q:ちなみに、このZの改造費はどれぐらいかかったんですか?

「オリジナルは2000ccを搭載した普通のS30Zです。5ナンバーの車ですよ。写真では大きく見えますが、すごく小さいクルマなんです。当時のZの販売価格は120万ぐらいかな。オプションなどを全部入れても150万ぐらいだったと思います。改造費は、その2倍分のお金はかかっています。幸い、オーナーが『スピードを出すためだったら好きにしていい』と言ってくれたので、自分で部品なんかを探して、基本的にはひとりでチューニングしました」

Q:チューニングしたマシンのテストはどうしていたんですか?

「別にどこかのコースを借り切ってテストなんかはしていませんよ。街中で普通に走っていただけです(笑)。それで矢田部に持ち込んで、ぶっつけ本番でやっていたんです。でも、うちのZは速さだけでなく、信頼性や安全性も高かったと自負しています。実際、最高速のマークしたうちのZは、雑誌の企画が終わったあとも、普通に街中を走っていたんですよ。5~6年ぐらい、普通に走っていた。街乗りでも十分に対応できたんです。でもオーナーの方が他の人に売って、そのあとにクラッシュして廃車になってしまったんですよね。惜しいことをしました」

Q:最高速トライアルには結局、どれぐらい関わっていたのですか?

「3~4年ぐらいやったと思います。最高速トライアルの走行を終わったあとに、ちょっと時間が余った時には、私もステアリングを握ってマシンを運転していたりしていたんです。でも当時はシートベルトもなんにもしないで、いろんな人が走っていたんですよね。それで雑誌屋さんの人が事故を起こしてしまったんです。当時は保険にも入ってなくて、大きな問題になったんです。それでサーキット側が『もうコースを貸さない』となって、最高速トライアルも中止せざるを得なくなってしまったんです。終わってしまったことは残念でしたが、S30Zで当時の最高速をマークし、『スピードショップクボ』の名前を一般的にもアピールすることができました。その後、お客さんもかなり増えましたしね(笑)。そういう意味でも、S30Zは忘れられない1台ですね」