久保靖夫が選ぶベストカー

2013.01.25

「国産はやっぱりZ。外車ではゴルフ1が思い出深いね」

Q:久保さんと言えば、Zというイメージが強いですが、これまでどんなクルマの面倒を見て来たのですか?

「もともと城北ライダースの時代はオートバイをやっていました。その後、東名自動車(現・東名パワード)を興して、主にフェアレディのSR311型をやっていました。お客さん用のレーシングカーですけどね。それが落ち着いてきてからは、Zになり、サニーのB110もやりました。ストックカーレースに出場した丸善のテクニカサニーですね。東名自動車を退社してからは、長谷見(昌弘)さんの富士グランドチャンピオン(GC)や、コジマ・エンジニアリングのF1プロジェクトのお手伝いをしていました。そのあとは自分で商売をやり始めました」

Q:1975年に『スピードショップクボ』を設立した後は、レーシングカーから一般の乗用車を手掛けるようになったんですね。

「そうですね。当時は東京には、チューニングショップはなかったんです。私がショップを始めてから1年ぐらいしたあとに、現在のRE雨宮さんのショップがオープンしたと思います。当時、普通のお客さんは、ディーラーさんや街の板金屋さんにチューニングを頼んでいたんですけど、速くならないんですよ(笑)。だから、速く走りたいとか、カッコよくしたいという人がいろいろ来ましたね」

Q:これまで、どんなメーカーや車種のチューニングやメンテナンスにかかわってきたのですか?

「やっぱりZやスカイライン、サニーなどのニッサン系のクルマが多いですが、トヨタのクルマも自分で購入して乗りましたよ。カローラからセンチュリーまでね。カローラは最初のモデルを新車で購入しました。当時はサニーを乗っていたんですが、セールスのヤツにうまく乗せられて購入したことがありました(笑)。ホンダでは、日本に本格的なミニバンを巻き起こしたオデッセイですね。あれは良かったですよ。私も最初はああいうミニバンのようなクルマはあまり好きじゃなかったんですが、乗ってみると、本当に便利だった。荷物もたくさん積めるし、走りも悪くなかったですね」

Q:海外のメーカーでは、どんなクルマに乗ったり、メンテナンスをしてきたのですか?

「メーカーを問わず、いろいろ面倒見てきました。VW、BMW、トライアンフのお客さんもいました。これまで携わったメーカーを上げると、フェラーリで246GT、365、348ぐらいまではやりました。ポルシェはあまりやらなかったけど、911、914、924、最近も944のメンテナンスをしましたね。ランボルギーニのLP400も何台かやりました。全然走らないものをちゃんとビューンと走れるように直しましたよ(笑)。スーパーカーだと、マセラティのボーラ、ロータスのヨーロッパやエランもやりました。ドイツを代表するメルセデス・ベンツは500にも560にも乗りました。560は初代と、最終モデルにも乗りました。やっぱりメルセデス・ベンツは乗り心地が良かったですよ。
フランス車もいろいろやりました。私のお客さんで、練馬に中古車屋さんをやっている方がいました。その方はルノーを専門に商売をされていて、彼に頼まれて、ルノーの修理やメンテナンスもしていました。記憶に残っているのはルノーの5(サンク)ターボですね。1400のターボエンジンが搭載されたモデルですが、それなんかは4月の声を聞くと、オーバーヒートしちゃうんです。4月ですよ(笑)、ヨーロッパと日本の気候の差もあるだろうけどね。ラジエターから何から、いろいろ変えて、ちゃんと走れるようにしたことがありました。ルノーでは、最近までずっとアルピーヌA310の面倒も見ていましたね」

Q:世界中のクルマを手掛けているんですね。アメリカ車はどうですか?

「やりましたよ。エルビス・プレスリーが乗っていたような、大きなピンク色のキャデラックもメンテナンスしたことがあります(笑)。あのクルマは前も後ろも長くて、メンテナンスよりも、ガレージに入れるのが大変だったことを覚えています」

Q:日本とヨーロッパのクルマを比較して、それぞれにどんな印象を持っていますか?

「ヨーロッパのクルマは、デザインと走りは本当にいいんですよね。高速なんかでは本当に安定しています。その点は、今でも日本は追いついていないかもしれません。でも当時は、中身はダメだったねえ。よく壊れるし、整備性がよくない。例えば、フェラーリなんかでも、クラッチが多少滑るので交換しようと思っても、エンジンを載せたままでは、クラッチだけを交換することできないんです、ディーラーに持っていくとね。もうタイミングベルトだ、何だ……とセットで交換するようになってしまっているんです。そうすると、何百万もの修理代がかかってしまいます。
今でも整備性はあまりよくありませんね。ちょっと前に修理を依頼されたローバー75でも、タイミングベルトを交換しようとしたんですが、ひとりじゃとても作業できません。その点、日本のクルマは簡単に作業ができるように設計されているんです。ボルト1本を外せば、簡単に作業ができるように工夫されています。特に日本の軽自動車は優秀ですよ。あんなに小さいのに、本当に整備性をよく考えて設計されています」

Q:久保さんがベストカーをあげてもらうとしたら、何を選びますか?

「国産だと、やっぱりZかな。もちろん、それ以上の性能のクルマはありますけど、Zは非常にバランスのとれたクルマだと思います。Zはアメリカでも売れた人気車種ですけど、アメリカ人に聞いてみたら、『お金持ちじゃない人が買うクルマだ』って言っていました(笑)。安くて、そこそこ走るスポーツカーだってことだよね。でも、いくら安くても、走りが悪かったら買わないですよね。カッコよくなければ買わないですよね。値段、性能、デザイン、そのへんのバランスが実に良かったんだと思いますよ。
加えて、Zはいじっても面白いんですよ。それなりにチューニングすれば、かなり速くなりましから。ノーマルの2リッターのZだったら、あまり走らないという印象を持つかもしれません。『これでスポーツカーかよ』って(笑)。でもチューニングすれば、速くなるんです。それも、たくさんの人に受け入れられた理由だと思います」
 

Q:海外のクルマでベストカーを選ぶとすれば、何になりますか?

「外車だと、70年代や80年代のメルセデス・ベンツは良かったですね。560はデザインも乗り心地も良かったですよ。当時と比べると、今のメルセデスはメルセデスじゃないよね(笑)。安普請のクルマになってしまいました。VWのゴルフも好きです。小さいクルマだけど、キビキビ走るしね。私が商売を始めた頃に、ちょうど初代のゴルフが発売された時期でした。現在の日本車の技術や性能は世界トップクラスだし、どこにも負けていないと思いますが、今から約40年前だったら、日本車はVWなどの外車に性能で負けていたかもしれないね。あの頃は『外車は何十万キロも走っても大丈夫』と言われていましたからね。
その当時、私はゴルフの1、2を自分で買って、乗り回していました。ゴルフにはGTIというホットハッチがあって、それと同等以上の走りができるようなチューニングキットも発売していました。エンジン関係のピストン、キャブ、マフラーとかのパーツですね。それを付けると、本当によく走りました。そのへんのGTIには負けなかったですよ(笑)。ゴルフは車体の剛性があり、すごくしっかりしていたし、整備性も良かった。自分たちでエンジンとシャシーをちゃんと作っているので、他の海外メーカーに比べると、整備のことまでよく考えられた設計がされていたと思います。外車でベストカーを選ぶとすれば、ゴルフになります」
 

Q:今、久保さんが手掛けるZなどの旧車がブームになっていますが、現在のクルマとの最大の違いは何ですか?

「まあ、現代のクルマはなかなか壊れないですよね(笑)。あと今のクルマは、すべてがコンピュータ制御になっていることが大きいですよね。それこそ、いろんなところにコンピュータが使われています。ミッションにはミッションのコンピュータがついて、エンジンはエンジンでコンピュータがあって……。ですから、私たちがチューニングや修理ができないことはないですが、コンピュータの知識が絶対に必要ですし、テスターが必要になります。ところが、そのテスターは全メーカー共通じゃありません。トヨタはトヨタ、ニッサンはニッサン、VWはVWとか、各社が独自のものを使っています。テスターを全部揃えようと思ったら、お金がいくらあっても足りませんよ(笑)。
昔のクルマはみんな機械式ですし、燃料供給の方式はキャブですからね。マセラティもフェラーリもキャデラックも……。ガソリンとオイルがちゃんとエンジンに回っていて、電気が通っていれば、エンジンがかかります。それに機械式なので、パーツがないんだったら、自分で作ればいいですからね。やろうと思えば、何だってできました。例えば、古いZでもミッション車をオートマにしようと思っても、部品さえあれば、簡単にできるんです。ところがコンピュータ制御のインジェクションのクルマになってしまうと、すごく大変なんです。さっきも言いましたが、それでも修理やメンテナンスをできないことはないですけどね」

Q:久保さんが『スピードショップクボ』を設立した当時は、まだレーシングカーと市販の乗用車の技術がすごく近かったということですね。そのために、久保さんがモータースポーツの世界で培ったノウハウを活かすことができんですね。

「そうですね。おっしゃる通りに、70年代まではレーシングカーと市販車の技術やメカニズムにそれほど大きな差がなかったんです。極論すれば、私がかかわっていたF1やツーリングカーの丸善サニーと、市販車のチューニングやメンテナンスの技術は、基本的にほぼ同じだったんです。だからレースで培った技術を活かし、市販車のチューニングやメンテナンスに応用することができました。そういう意味では、クルマをチューニングする人にとっては面白かったし、いい時代だったのかもしれないですね」
当時スピードショップクボで販売していたゴルフ1のチューニングパーツの広告。オートスポーツ誌(昭和41年5月号)より