伝説の1976年F1日本グランプリ(後編)
2011.12.02
「F1マシンは、やっぱりムダがなかったですよ」
Q:日本で最初のF1グランプリで、コジマ・エンジニアリング(KE)11位に終わりました。この結果を当時はどう受け止めたのですか?
「当時はとにかくマシンを直すことを第一に考えていたので、特に何とも思いませんでしたね。でもタイヤやマシンにトラブルがなければ、おそらく長谷見選手も星野選手もいいところにいったと思いますよ。だって、あの頃のF1はたいしたことなかったんですよ。今とは全然違うんです」
Q:F1がたいしたことなかったですか?
「あの頃のF1は、現在と比べると、チームも主催者もしっかりと組織化されていなかったですし、まだまだ完全なプロフェッショナルな世界ではなかったと思いますよ。当時は、フェラーリといえども、日本グランプリに来たスタッフは全部で10人ぐらいしかいなかったですよね。みんな汚い青いつなぎを着て、作業していたんですよ。しかも車検に行くとき、メカニックがクルマに乗っていってしまうんですからね(笑)。ブーンでメカニックがF1マシンを運転していくんです。当時はクルマのなかでメシを食っているメカニックとかもいましたからね。ピットだって、現代のF1はチームごとにきちんとピットが分かれて、部外者が簡単に入れないようになっていますが、当時はそうじゃなかったですから。ピットにマシンを並べて、メカニック同士がケツをぶつけながら、マシンをいじくっていたんですからね。うちらが作業していると、隣はフランスのリジェだったと記憶していますが、水平対向のボクサーエンジンをブンブン回すんです。12気筒のマトラというエンジンでしたが、これがすごくいい音がするんです。でも、隣で作業しているんですから、耳に響くんですよ。だから『うるせーぞ!』と言ったりしてね(笑)。そんな、のんびりしたものだったんですよ」
Q:当時のピットは、今のようにピリピリしていなかったんですか?
「そうですね。かなりアットホームな雰囲気でしたね。あの頃の富士は、パドックに入ると、右側にニッサンやマツダの事務所があって、反対側にブリヂストン(BS)やダンロップ、NGK、チャンピオンなどの事務所がありました。その前あたりで、各チームのメカニックがみんなで背中をくっつけながら作業していたんですからね。ピットも現在のような区切りもないので、行き来も自由でした。きっと現在のF1ファンが当時のレースを見たら、『これがF1か!?』と思うはずですよ(笑)。あと76年のF1には、日本から参戦したF1チームはKEと、星野選手が走った田中弘さんのところのチームしかいなかったと思います。日本からは2チームしか参加していなかったので、レースの時にはピットに日本人はほとんどいないと思っていたんです。でもレース当日はピットに日本人がいっぱいいたことを覚えています」
Q:76年のF1にはマキという日本のコンストラクターも出場していましたね。
「そうだった。そういえば私はマキF1のパーツ製作もずいぶん頼まれましたよね。まだ東名自動車にいた頃ですが、あの当時はアルミ溶接をするところが少なかったんです。それで私の知り合いが世田谷にいて、そこに随分頼んだんですよね。73年~74年ぐらいだったと思います。当時、マキF1も東名自動車の近くでやっていたんです、川崎でね。『エバカーズ』という会社があって、そこがマキF1の母体になっていたと思います。エバカーズは田園都市線の宮前平という駅の真ん前にありました。今はもう随分きれいになっていますけど、昔は砂利道ですごく細い道だったんだよね……」
Q:本当にいろんなことにかかわっているんですね。当時の日本GPでいちばん印象に残ったことは何ですか?
「実は、76年のF1のときよりも、その2年前に、富士でF1マシンのデモ走行があったんです。ロータスやマクラーレン、ティレルなどのマシンが数台やってきて、富士でエキシビションのレースをしたんです。その時に驚かされることがありました。F1マシンは2つのコンテナでサーキットまで運ばれてくるのですが、1つのコンテナの扉がバラバラと開くと、その中にカウルと4本のタイヤがきちんと収納されているんです。それを取りだすと、ボディが出てきて、レールに乗っかってボディがシューと出てきます。もうひとつのコンテナにはエンジンとミッション、足回りがきれいに収納されているんです。それも同じようにシューと出てくると、モノコックと高さがピタっと合っているんです。そのままエンジン、足回りをつないで、ブレーキなんかは全部チャックでパチンとはめればエアも入らないんです。で、アクセルワイヤーもつないで……そんなこんなで、梱包を解いてから、わずか40~50分ぐらいでもうコースを走っているんです。それはさすがだなと思いました。やっぱりロータスとかフェラーリとか、トップチームは凄かったねえ。細かいところまで、ちゃんと考えてマシンが作られている。ムダがないんです」
Q:ドライバーの印象はどうでした?
「外国人ドライバーにとって、当時の富士は初めてのコースだったと思いますが、5周ぐらい走ると、そのコースのベストタイムを出してくるんです。そういうところもF1はすごかった。でもトップチームと下位チームとの差が今以上に大きかったと思いますし、全体の雰囲気はのんびりしていましたよ。今みたいにカリカリしたり、ピリピリするようなところはあまりなかったと思います。さっきも言いましたが、みんなケツをぶつけながら作業していたんですからね。F1といえども、そういう時代だったんです」