伝説の1976年F1日本グランプリ(前編)


「あの時、ピットではくるぶしまで水がたまっていた」


Q:日本で最初のF1グランプリが開催されたのは1976年(昭和51年)。富士スピードウェイが舞台でした。この時、久保さんはコジマ・エンジニアリング(KE)のメカニックとしてサーキットに行っているんですよね?

「そうですね。私は1974年に東名自動車を退社したのですが、その時にKEの小島(松久)代表に『うちに来ないか?』と誘われていたのです。でも、いずれは自分で会社をやってみたいということもあり、その誘いを断りました。ただ正式なスタッフとしてではなく、客人というか助っ人という立場で小島さんの仕事をずっと手伝っていました。F1だけでなく、KEのFJ1300やF2もお手伝いしていました」

Q:KEのオーナー、小島松久氏とは古くからの知り合いだったと聞きましたが?

「そうですね。私たちが『城北ライダース』というモトクロスのレーシングチームをやっているころからの知り合いでした。私たちは関東でスズキのファクトリーチームとして契約していました。小島さんは関西で同じくスズキのファクトリーチームとして戦っていたのです。私の弟(和夫)と小島さんは1960年代の半ばにスズキのワークスチームから世界モトクロス選手権に参戦していたこともありました。そういうこともあり、昔からよく知っていました。小島さんは、決断力があるし、やることがすべて豪快です(笑)。きっと彼がチームオーナーでなければ、76年のF1にオリジナルマシンを作って参戦して、あそこまでの結果を残すことはできなかったと思います」

Q:富士でのF1で長谷見昌弘選手のドライブするKE007はあわやポールポジションか、という素晴らしい速さを披露しました。

「金曜日の予選では結構いいタイムを出していたんだよね。でも午後のセッションで、フロントのサスペンションが壊れて、ガシャンとクラッシュしてしまった。その時、私はサーキットにいなかったんですよ。1975年にはうちの店を始めていたので、レースとの掛け持ちで忙しかったんです。でも土曜の朝までにはサーキットに行くつもりでした。そしたら金曜日の午後3時ごろに、小島さん本人から慌てた声で電話がかかってきました。『マシンがバラバラになってしまったので、何人でもいいからクルマをいじれる人間を連れてきてくれ!』ってね。何人でもって言われても、そんな急に言われても誰もいないんで、うちの弟のところ(SRSクボ)で働いていた若い衆をひとり連れていきました。弟のところでも軽自動車のエンジンを使ったフォーミュラ(FL500)というのをやっていたので、そこの若いスタッフに『手伝うか?』と聞いたら、『やります!』というので連れていったんです。で、金曜日の午後3時ぐらいに当時、世田谷にあった会社を出て、午後4時半ぐらいにはもうサーキットの近くに着きました。そしてら、もうマシンはマシンがバラバラですよ(笑)。もう完全にいちから作り直すような感じでしたね。金曜日の晩と土曜日の晩も寝ないで作業して、日曜日の朝の車検のギリギリまで作業して、やっと間に合ったんです」

Q:でも日曜日の決勝は、豪雨によってレース開始時間はかなり遅れましたね。

「そうなんですよ。せっかく急いでマシンを作ったのに、日曜日はずっと待たされっぱなしだった(笑)。レースは午後の1時半に始まる予定だったけれども、雨で開始時間が延期され、結局、レースが始まったのは午後2時半とか3時ぐらいだったからね。その間、ピットロードにマシンを並べて、ボケーとしていたんです(笑)。いざレースが始まっても、ニキ・ラウダは『こんなんじゃレースできない』って、1周走ってレースを止めちゃったしね」

Q:実際、現場ではレースは不可能という感じだったのですか?

「F1じゃなかったら、きっとレースはやってなかったと思いますよ。僕らもピットで待っている間は雨が強くて、すごく寒かったんですよ。2007年にも富士でF1があったで、その時もサーキットに行ったんですが、最初の富士の雨量はあんなものじゃなかったですね。ピットで長靴履いていたんだけど、くるぶしぐらいまで水があったんですから。とにかく寒かった。でもドライバーの長谷見選手は『雨が降ったほうがいい』っていっていましたね」

Q:それはなぜですか?

「海外のF1ドライバーにとって富士の雨は初めてですが、長谷見選手や星野(一義)選手にとっては庭みたいなものですからね。ウェットになると、コースのどこに川が流れているかがわかっていました。だから、あのまま雨が続いていたら、日本勢はかなりいいところまで行っていたかもしれませんよ。実際、星野選手は雨の中で一時3位を走行しました。でも、ブリヂストン(BS)のウェットタイヤとホイールがなくなってしまって、リタイアするしかなかったんです。KEはダンロップでしたが、似たようなものでした。レースの前に、ダンロップのスタッフがこんなことを言っていたんです。『グッドイヤーのタイヤは溝がちょっとしかないけど、こんなのでちゃんと持つのかなあ』と。でも、いざレースが始まると、自分たちのタイヤがダメになってしまったんですよ(笑)。BSなんか、もっと先にダメになってしまった」